「違和感」
あいにくの空模様。
雨音を聞きながら、少し考え事をしてる。
次に行く旅の事だ。
「古い街並み、近代的な都市、ビーチ、はたまた砂漠…どこにしようか」と。
それによって時間の使い方も違ってくる。
結果、その旅に対するコンセプトも分かってくる。
勿論、どこでもある程度の事は出来るが、演出できない事もある。
そう「雰囲気」だ。
人間は良くも悪くも環境に左右されやすい。
自分が求めてる結果があるなら、それに相応しい環境に身を置くのが一番だ。
それが分からなくても、環境には「偶発性」を起こす力がある。
その力で自分が進む方向が見えてしまったり、
決まってしまう様な事も往々にしてある。
誰しもこういう事は体験したことがあると思う。
もし、自分が感性を刺激させるような何かを求めるならどうするか?
それは間違いなく都会へ行く。しかもより大都市になればなるほどいい。
間違ってものどかな田舎には行ってはダメだ。
もし、ゆっくりと本を読んだり休息をとりたいのならどうするか?
波音が心地いいビーチか、風薫る緑豊かな自然を選ぶだろう。
間違っても人が往来する騒がしい場所はダメだ。
砂漠の「赤い砂」が欲しいのにビーチに行ってはダメだ。
なぜなら、そこには「白い砂」しかないからだ。
様は、場所を選ぶなら、その目的に合った場所に行かないといけない。
当たり前の事だが、これが日常生活において置き去りにさてれる人が意外にも多い。
何のためにそこに行くのか?
何のためにそこに居るのか?
今一度、立ち止まって考えてみるのもいいかも。
「方向性を見失った日常ほどツマラナイものはない」
ちなみに俺は旅の計画はあまりしない。
行きたいと思ったとこに行く。
何のため?別に理由はない。
自分の気持ちのためサ。
自分の気持ちに素直に従うだけだ。
そこに理由なんで要らない。
そんなの「俺が行きたいから」で充分!
自分の感性が「そこに行け!」と言ってる。
そこがお前に「来い!」と誘っている。
もし理由が欲しいと思うなら
そんなの簡単な事だ。
「行けば分かる!」
行けば何故そう思ったか
何故行きたいと思ったか
ソコで感じた全てが
ソコから持ち帰った経験の全てが
ソコで味わった感情の全てが
ソレが自らが欲したモノだから。
ハッキリしなくてもいい。
何となくこれだよな。と
自分自身で感じればそれでいい。
そう、「感じる」こと
これが何よりも大事だ。
今の日本人は答えを欲しがる人が多い。
その方が安心だからね。
それがより明確であればあるほど安心する。
でも、大概は安心するだけだから。
何の解決策もないし前進もない。
他人から貰う答えよりも
自らが感じた「何か」の方が
よっぽど自分にとってデカいギフトだ。
その「何か」が何か分からなくて
モヤモヤしたりする…
不安になったりする…
考え込んだりする…
大丈夫、それ正常だから。
ってか、それでいいんだよ!
だから「次」があるんだよ!
それがあるから次の旅があるんだよ!
そう、
感じたことへの「違和感」
それが次の旅のスタートとなる。