理由は同じ。ただ結果が違うだけ。

理由は同じ。ただ結果が違うだけ。

「Ollieさんはいつも1人で海外行ってるのですか?」
と、よく聞かれます。

私が海外に行くのは大抵単独か少人数。
又は、現地集合、現地解散という感じが多いです。
複数人(3〜4人以上)はまず無い。

別に「人嫌い」とかいう訳ではないです。
勿論、誰でもいいという訳でもないですが。

ま、それについて書くと面白くないので、
今回はちょっと違った切り口で

「複数人で旅を計画する」
という「視点」でお伝えしようと思います。

単独行動する理由

何故かと言うと、大概はついて来れないから。

ついて来れないと言うのは、別に「突き離す」という事ではなく、予定についてこれないという事。

端的に言えば「予定が合わないから」です。

自分の殆どの旅が「突発的」
余程のことでない限り、何ヶ月も先の予定は立てない。

その時になると、その「興味対象」が変わっている事もあるので。

行きたいと思った時に行く。
その時に興味があった事をやる。

先に延ばすと、それが数カ月先だと、余程興味がある事や、継続的に実行している事以外は、「その時」には既に自分の中から「熱」が冷めている可能性がある。

なので、「行きたい」「やりたい」と思ったことは、「即実行したい」という正確・・・と言うか、「性質」ですかね、完全に。

でもね、別に嫌いじゃないよ
グループで行動するのも。
(全然説得力ないですが・・・)

複数人で行くのも悪くはない。が・・・

話を戻そう。

私は「複数人で行くことはまず無い」
と言ったけど、別に「嫌い」という訳ではい。

気の合った仲間や、同じ目的を持った者同士の旅は、1人で行くよりか遥かに楽しいし有意義な時間になることは知っている。楽しさ倍増し、辛さは半減し、ハプニングはネタとして共有できる。

出来れば、そういう「仲間たち」と旅に行きたい。
(逆に、そうじゃないヤツとは行きたくないが)

ただ、こういうのって、本当に難しいんだよね。
何が難しいかって言うと

「実行されるか」がね。

私もたまに
「◯◯に行きましょうよ」
とか
「◯◯に皆で行きたい」
とか言われたりします。

そういう場合、大抵は「行くことない」です。
厳密に言えば「計画は実行されない」事が多いです。

結局、それって無駄な労力になる・・・が、
意外とそうではなかったりする。

そういう「一緒に◯◯しましょう」になった時
色んな人の「思考の癖」が分かる。

逆にそれが面白いと言うか、
そこに面白味を見いだせないと
他に何も得るものがない。

私は性格上、ごちゃごちゃするのが嫌だ。
何事もシンプルにしたいタチなので、
分類もシンプルにしてます。

「行きたい」の意味合いの違い

旅を計画した後にする事は、
まず周りの人に声をかけます。

すると、興味のある人は「行きたい!」とか「行く行く!」となります。

ここまでは誰でも同じです。
希望を言うだけなら誰でも言えますからね。

で、問題はその後。

「行きたい」

この言葉の意味合いと
この言葉の後に続く「言葉」

これが全く2つに分かれます。

「行きたい」

けど、◯◯◯。

「行きたい」

から、◯◯◯。

もう分かる人には分かりますよね。
ってか、ホント、そのまま。

「行きたい」という気持ちがあり、その後に「現実」がくる。
その現実を「どうしていくか」がココに現れる。

分かりやすく言うと、

「行きたい。けど、仕事が・・・」
「行きたい。けど、お金が・・・」
「行きたい。けど、家族が・・・」

「行きたい。から、仕事を・・・」
「行きたい。から、お金を・・・」
「行きたい。から、家族を・・・」

この違い。

もうお分かりだと思いますが、
前者は「行かない人」
後者は「行く人」です。

私は別に「行く」「行かない」はどうでもいいです。
行けるなら行けばいいし、行けない・行きたくないなら、行かなければいいだけの話。

特にそれ以上でも以下でもないです。
本当にムリなのはムリなので。

ただ、「行きたい」んじゃないの?
と一言問たい。

どうすれば最善の選択ができるか
どうすればそれらが解決できるか

そういうのって考えないの?

そういうのも
「旅」の楽しみの1つ

じゃねーの?
と、強く思う。

願望が最初にくるか、最後にくるかの違い

「旅を計画してよ」となり計画し声を掛ける。

「行きたい」
「行けない」

という反応が返ってきます。
反応だから仕方ないです。
こちらは「行く人の選択」をする必要がありますので。

でも、ここで興味深いことが分かったりします。

それは、「願望が先か、後か」です。

どういう意味かというと、実は先程の説明したのとよく似ています。

その前に、前提条件として
「行きたい」と手を上げた人の事を言ってます。
最初から「行かない」という人の事ではないです。

まず「行く」人は
「行きたい」
という願望がきます。
その後に現実がきます。

「行きたい」という願望があり
そのための諸問題を後から何とかする
結果、何とかして(しなくても)「行く」

逆に、「行けない」人は
現実が先にきます。
その後に願望がきます。

現実の解決すべき諸問題があり
それを何とか解決できるかどうか考える
結局、解決できるか分からないので「行かない」
又は、解決できた(できそう)ので「行く」

行かない(行けない)人の大半が、「希望が後にくる」人です。

勿論、後者の人も、諸問題を何とか解決し、最終的に行く人もいますが、圧倒的に少ないです。
と、言うかいないね。よく考えたら、それは前者になってるワ(笑)

ここまでなら、よく聞く話だし、巷でも垂れ流されている情報だから、何の真新しさもない訳。

これらを幾つか体験してみると
面白いことが1つ分かった。

それは

前者は、圧倒的に「女性が多い」
後者は、圧倒的に「男性が多い」

これは、
働いている・いない
稼いでいる・いない
忙しい・忙しくない
時間がある・ない
家庭がある・ない
etc・・・

全く関係ないです。キレイに分かれます。

圧倒的に女性の方がより建設的で、アクティブに動きます。
女性の方が、より願望に直結していて、より素直なんだなと思います。
(これは私の周りだけ?かは分かりません)

これは脳の癖の違いなのか?
何なのかは分かりませんが、
個人的に「男性脳と女性脳の違い」
かなと勝手に思ってます。

おい、男共!マジもっと頑張れよ!(笑)

「後悔」という名のお約束の言葉

ここで私がグループで海外行った事を2つ。

1つ目
先日話した「ドバイでiPhoneを落とした」時
7人グループでドバイに行った時は、決まるのに1日もかからなかった。

一瞬で7名が確定。
その話を聞いて、「俺も・私も行きた!」と何人か手を上げた。
でも、結局は誰も行かなかった。

それで当初の7人でドバイに行った。
クリスマスシーズンで、ダウンタウンの1等地。
リビングからはファウンテンが見える最高の立地。

帰国後、最高の体験ができたと全員大満足。
更に、価格はオフシーズン並の低価格。

それを聞いた周りは
「うわぁ〜行きゃよかったー」とある意味「お約束」の言葉

2つ目
大学の卒業旅行でハワイに行った時
6人グループも一週間もかからず決まった。

そこには明確な「取捨選択」があった。

特に卒業旅行は、結構な人数の希望があったが、
「行く!」か「それ以外」かでバシッと分けた。
ある意味、非常なぐらい白黒分けて。

その結果、行くことができた。
寒い日本を離れハワイで一週間以上滞在。
行った仲間全員「マジ最高!行ってよかった!!」と。

帰国後。すぐに卒業式が行われる。
その時に行かなかった友達に体験を話すと

「うわぁ〜行きゃよかったー」とある意味「お約束」の言葉が

結局
「行きゃよかった」って言うなら、
最初から「行っとけよ」って事。

まとめ

人が集まれば、その分考えも多くなる。
そうなるとまとまるモノもまとまらなくなる。

これは当たり前の事。

ただ、複数人であっても
決まる時って一瞬で決まる。

面白いことにね。

結局さ、決まるのは一瞬で決まるし
決まらないのはずっと決まらない。

ホント、瞬間・瞬間をどう判断し「決めて」行くか

もうコレだと思う。

アレもコレも考え過ぎて
結局何もできない。

考えることも大事だが、時には自分の感情に素直になって「行く」事が大事だと思う。

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