「もたざる者」の挑戦
このブログ(サイト)を書こうとしたキッカケは、
「単に自分の存在を叫ぶため」だ。
正直、誰に必要とされ、誰に役に立つかは分からない。
役に立つどころか、このまま埋もれて消えてなくなるかもしれない。
大方、その見方の方が確率は高いかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
自分は幼少の頃より、文字の扱いが苦手だった。
人が当たり前の様にできる事が自分にはできない。
人が当たり前の様に分かる事が自分には分からない。
それがいつしか嫌悪感に変わっていった。
それは今も昔も変わらない。
才能どころか、並の人以下だった。
いわゆる「もたざる者」だ。
この世界は「文字」が支配している。
その「文字」を扱い「言葉」になる。
その「言葉」がこの世界の「存在」になる。
「存在する=そこにいる」
結局、「言葉」を扱える奴が勝つんだよ。
そして、「言葉」を扱えない奴の存在が消えるんだよ。
そう、「勝ち負け」じゃない。
「負け」じゃなくて「消える」だよ。
この世の中は「言葉」が支配している。
リアルの世界もだが、
ネットの世界では特にそうだ。
全てが「文字」が支配している。
確かに映像というのもあるが、
圧倒的に「文字」が支配している。
リアルの世界では「自分」という個体は周りに認識されるが、
ネットの世界では「文字」で表現しないと誰にも認識されない。
そう、そこには存在すらしない。
画面の前には確かに存在する個体。
だが、画面の先には全く存在していない。
その先にある、もう一つの世界には
「あなたは存在しない」
ただ、このまま存在しないのも癪に障る。
何も爪痕も残さず消えてなくなるのもムカつく。
だが爪痕も残すには「文字」を使う必要がある。
「文字」に向き合う。
その時、自分がいつも感じることがある。
「文字」に向き合う度に味わう圧倒的な敗北感。
「何を言ってるか分からない」
「何が表現してるか意味不明」
そう取られる事は往々にあるだろ。
文字を扱えない奴にとって、文字の世界は正に地獄だろう。
果てしなく続く苦行。だが止まったらそこで終わる。
終われば存在が消えてしまう。
この先どうなるかは分からない。
行った先に何が待っているのか…
それは行ってみないと分からない。
行き着けるのか。
それとも着けないのか。
現時点でこれだけは言える。
「まず書いてみる事」
全てはそこから始まる。