「それ、やる必要ある?」マイラーの私がマイルに関する内容を書かない理由

「それ、やる必要ある?」マイラーの私がマイルに関する内容を書かない理由

唐突ですが、自分はマイラーです。
それも結構なマイラーだったりします。
私の事をよく知っている人なら、周知の事実だと思います。

そういう人達から
「何でマイル関係の話を書かないの?」
とか言われたりします。

確かに、その通りだなと思います。
だけど書きません。
少なくとも今は書く気はないです。

何故か?
それは
「書く必要性を感じない」からです。

それについて、脈絡もなく自分の「考え」を書いているので、ハッキリ言って大した内容はないし、意味不明な内容になっているかと思う。ただ、これが「自身」なので、読みたい人は読んで、興味ない人は「戻る」を選択する方が時間の無駄にならないと思います。

それ、俺が書く必要がある?

では何故「必要性を感じない」のか?

それは
「俺じゃなくても書ける内容」だから。

一応、マイラーなので、マイルに関する内容の記事も書こうと思えば書ける訳。

だけど、いつも思うのが
「それって俺が書く必要があるの?」
って事。

巷には、多くの旅関連のブログがあります。
そして、その中にはマイラーのブログもかなり多くあり、しかも、皆さんかなりの力を入れて書かれていて、内容も結構充実してたりします。ホント見ると「すごいねぇ」って感心させられます。

そういうのを見ると、本音で
「それ見ればいいやん」って思う訳よ。

確かに一時期はマイルに関する事を活かし、自分のコンテンツに関して厚みを出そうと考え、マイル関連の記事を書こうとも思った事はあった。

けど、必ず頭をよぎるのは…
「それって俺が書く必要ある?」
と・・・

消耗戦は挑まない

そうは言っても、記事のネタに困ったりすると、ふとマイル関係の事を書こうかなと思うことは多々ある。だけど必ず以下の事を思うようにしている。

「消耗戦にならないか?」

正にコレに尽きる。
自分には分が悪すぎる。

まとめる事や書く事に関して他の人より結構に不利な自分に対し、それを押してまで書くべき内容かと考えた時、ハッキリと「思わない」という回答が出る。

確かに、過去にはFacebookにその日の思いつきでマイルに関する事を書いたりもした。だけど、それはFacebookというタイムライン上に「刹那的に」表示されてる内容なので、前後の関連性がなくても特に気にはならない。単なる「思いつきの落書き」程度に書いても問題はないと思っている。

だが、自身のサイト記事の場合は、勝手が違ってくる。
書くなら、ある程度「コンテンツ」という形で、関連付けた内容にしたいので、ある日突然、唐突に「マイル修行」という記事を書いても「???」となるだろう。

なので、ある程度、マイルに関しての知識や説明を網羅する必要がある。
そして体系的に内容(と言うか記事)をまとめて記事として上げて行った方が分かりやすく親切だから…と、したいのだが、これ自分が書くの面倒。

仮に、外注に出すという手もある。
基本のベースを書いて貰って、詳細の詰めや肉付けは自分で行う。とか。

けど、外注に出すにもその依頼文を書くのがメンドイ(と言うかシンドイ!)。
そして、ココまでくると「それって別に俺がやらなくても良くない?」と必要性を特に感じなくなり、結局書く事はない。

何が言いたいかというと、
「誰が書いても同じ様な内容は、自分が書くよりも優れたコンテンツ(記事)を提供している人がいたら、そっちを参考にした方がいい」
という事。

不得意分野という「土俵」で戦う事

仮に、コンテンツの充実という事で、マイルに関する事を今後書いていこうとしたとする。するとどうなるか?

多分、消耗して中途半端な内容で終わるだろう。
(あくまでも、現段階の自身の力からの結論です)

書くことが好き(又は得意)で、マイルに関することを発信したくて仕方がない人とは、同じ土俵では戦えない。ジリ貧になる。それが分かっているだけ。

勿論、そこには「自分」というフィルターを通して生み出しているので、内容が全く同じ物にはなる事はないとは思うが、ただ、それを推してまで書かなければならないコトなのか?
特に自分自身が苦手としている「書く」という土俵においては、自分は圧倒的弱者なので、そのコンテンツを「消耗」してまで生み出すに値する内容なのか?と。

「消耗戦になったら終わり」
これに尽きる。

だから、自分の結論として
「誰が書いても同じ事は俺は書かない」

と決めている。

じゃあ、何故書こうとするの?

ここまで書くことが嫌だという割にな、何故書こうとするのか?

さっさと辞めればいいやん。
嫌なとこでやる必要があるの?

確かにそれも一理ある。

けど、何かしらの「爪痕」は残したい。
何も叫ばなければ、この世界に存在しない事と同じだから。

自分じゃないと伝えれない事がある。
書かないと何も伝えられない。

じゃあ動画を撮れば?
って思う人もいるが、ハッキリ言ってもっと撮る気はない。

ま、動画は立場上乗せる訳にはいかないのもあるが、
出るのに超抵抗がある。晒すメリットは皆無だし。

それに、結局は「文字」でしょ。
気軽に見れるのは「文字」の方だし。

とにかく、今はこれが精一杯。
動画コンテンツはやる意味合いがない。

「ツマラナイ」となったら終わり

何事もそうだけど、
「ツマラナイ」とならないようにしないといけない。

特に、継続して続ける必要がある事に関しては。

「好きだ」となるよりも、
「ツマラナイ」とならない事の方が大事。

ハッキリ言って、ずっと好きでいることって難しい。
必ずそれに慣れるから。

そしてマンネリ化して、それがフツーという感情に落ち着いていく。

「慣れ=習慣化」
とも言える。

そうなればしめたもの。

習慣化って好きじゃなくても出来るっしょ?正にそれです。
(多分、嫌いならやらないと思う)

ま、本当に「全てが嫌い」になら、
さっさと辞めればいい話だし。

自分だから書けること

結局何が言いたいのかと言うと

「自分の体験したこと」
が全ての始まりであり

「自分が興味あること」
が届けたい内容となり

「自分が伝えたいこと」
が1番説得力があるコンテンツになってくる

逆に、それ以上の事は書けない。

特に自分はそれが顕著で、興味がない事には全くやる気はない。
それがどんなに魅力的や旨味がある内容でも。
勿論、それが仕事としてでも。

仕事か否かは関係ない

よく「仕事だからできる」という人もいるが、
ハッキリ言ってそんなの自分には関係ない。

仕事でも嫌なものは嫌だし、
やりたくない事はやりたくない。

現に、役員会の議事録を書くのが嫌で全く書かずにいて、挙句の果てには「俺は議事録には興味もないし意味合いも感じてないから書かない」とし、最後には上司に書かせるようにする始末。

※他にも色々とあるけど、今回の内容とは違ってくるので、またいずれ「気が向いたら」書こうと思う。

「仕事だから」とか
そんな変な縛りに囚われる必要はないと思う。
仕事なら、より適任の人に任せればいい。

俺はやらない
他の人当たれ

それぐらいワガママでもいいと思っている。

好きにすればいい

結論は「好きにすればいい」
これに尽きる。

書くのも自由
書かないのも自由

続けるのも自由
続けないのも自由

どちらを選ぶかで出る結果は違う。
ただ、やってきた経験は必ずどこかで活かされる。

これだけは間違いない。

どちらを選ぶかは、自分で決めればいい。

「好きにしろ」
と、自分に言って今日も続ける。

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