初のモロッコは初の陸路の旅 〜車窓の眺めの先に映ったものとは?〜
私の海外での移動は基本的に空路。
陸路での移動は街中のタクシーがほどんど。
長距離を陸路で移動することはまず無い。
飛行機のほうがワクワクするし空港にも行ける。そして何と言っても「マイルも貯まる」というにがいい。陸路を移動してもマイルが貯まるわけではないんで・・・
という訳で、私は移動は専ら空路派です。
今回、モロッコへ旅したときに初めて「陸路」での長距離移動に挑戦しました。
普段は単発の旅については書きませんが、たまには自身が思ったことについて徒然なるままにを書いていこうと思います。
※多分、タイトルとは無関係な内容になってます(笑)
旅のスタイルは人それぞれ
今回は2人旅。
私は複数人で旅する場合は、日本から一緒に行く場合もあれば、現地集合の場合もある。もちろん、途中での合流(トランジット先の空港ね)というのもある。
今回はそれぞれ違うルートでドバイで合流し、その後カサブランカまで同じフライトでモロッコ入りし、帰りはバラバラにモロッコを立つというスケジュール。
私はエミレーツ航空でドバイ経由でモロッコ入り。
友人は東南アジアからのドバイ経由でモロッコ入り。
双方ともマイル実績を兼ねたルート(いわゆる「修行」)となっている。
旅慣れた者同士ならこれぐらいは普通で、逆にかしこまって最初から一緒に行くという事の方が違和感を感じる気がする。
どのような形で目的地まで行くのか?
どのような経路で目的地に行くのか?
利用するエアラインはどこを使うか?
それによって楽しみ方も違ってくる。
目的地に着く「手段」としてでなく、それ自体も一つの「楽しみ」として捉えると、旅がより一層楽しくなるのは間違いない。
「新鮮味」が旅の楽しくする一番のスパイス
初の陸路長距離移動の旅。
結論から言うと、意外と楽しかった。
正直、空路の方が好きだし楽なのは変わりはない。
確かに陸路(電車とバス)での移動は、決して楽でも快適なものでも無かった。電車で乗り継ぎ含んで約5時間半、バスは4時間という移動は、さすがにしんどいと言うより、最後の方は飽きてきた。(ま、電車内で爆睡してたけどね)
ただ、先程も言ったが、
「意外と楽しかった」とあるように、思った以上に良かった。
良かったという表現より「新鮮味があった」と言った方がいいだろう。
一番の新鮮味は「景色」に尽きる。
電車の車窓から見える景色は何とも味わい深く、生活感が漂うリアリティーな世界ががリアルタイムで目の前を駆け抜けていく様子は、空旅では味わえない醍醐味だろう。
また、行き交う人の話す言葉や、街中に表記されている言葉も、それと同様、いやそれ以上に「景色」として新鮮味があった。
モロッコの言語表記はアラビア語とフランス語が基本であって、英語での表記は殆ど見なかった。街中や駅の表記もアラビア語とフランス語の併記だし、アナウンスもアラビア語とフランス語。正直、全くわからない。ま、英語すらままならない自分にとって何語でも同じだけど(笑)
分からないから「発見」もあり「楽しい」もある
今回のモロッコへの旅で一番感じたのは「言葉の分からなさ」だった。
先程もお伝えしたとおり、街中の表記はアラビア語とフランス語の併記がほとんど。
ほんと全く分からない。
私は意思の疎通ができないという事には人一倍ストレスを感じる方だが、何故か今回はそれを含めて楽しめた。
一応、英語も分かる人はいるけど、主要な場所以外はダメな場合が多い。(自分がダメって話もあるけど)
ただ、意外なことも分かった。
ドバイでのアラビア語アナウンスに耳が多少なりとも慣れているので、アラビア語の方が意味もほんの僅かながら分かったのが嬉しかった。
最も、ドバイで合流した友人はフランス語バリバリに使いこなすので、全く問題なく滞在中は過ごせたけどね。(いや、ホント頼りになった)
そうは言っても車内では軽くお手上げな状態になってたりね。
滞在中の電車での移動中は全て全席指定の1等級にしてました。
座席は6席のボックス席なので相席状態になります。当然、地元民同士は結構話します。その話す言葉がモロッコ方言のアラビア語で「フランス語っぽいまろやかなアラビア語?」って感じなので、普段(ってほどでもない)聞き慣れているアラビア語とは全く違った言語に聞こえてくる。友人も「完全にフランス語でないです」と言ってたので、多分そうでしょうね。
声は大きくないが、楽しそうに話しているのを見てて、意味は全くわからないけど何か「楽しそうだな」ってのだけは伝わったのだけは確実に伝わってきた。
旅にデジタルツールは超便利だが過信しすぎない
旅といえば、昨今はデジタルツールが幅を利かせていると言っても過言ではない。それだけ今の「旅とデジタル」は密接に関わっている。
今回もお世話になったのが「Google Map」
もう本当にグーグル先生にはお世話になりっぱなしです。
ただ、モロッコではあまり普及(?)しておらず、ナビゲーションはできなかったのと、公共交通機関(特に列車)がうまくルートに反映されなかったのが意外だった。
街から街への大きな移動は問題なかったが、市内の小さな移動などに問題があった。むしろそちらの方で使えたほうがありがたいんだけど、これは仕方がない。
その中でも、特に空港(CMN)からCasa VoyageursやCasa Portから空港までのルートがバスのみの表示となっているので、所要時間やルートは全くあてにならないので注意が必要かと。これは2018年11月現在の話なので今後は改善されると思います。
あと、タクシーのルートも大通りしか指定して無く、普通よりかなり遠回りに指定したりしていて、実際は一直線に行けたという事もあった。
当たり前だが、鵜呑みにはせず時にはアナログと経験則を頼りにするのも大事かと。
旅は「確認作業」ではない
基本的に私は気まぐれです。
旅は事前に入念に調べる事もあれば、ほとんど調べず行き当たりばったりのときもある。一番多いのは直前になってパッと調べるというパターンかな。ある程度旅慣れてくると「カン」も働くので、情報も何がどう必要なのかを人より早く判断でき、収集する事もできるようになってくる。
ただ、調べるのも必要以上にし過ぎるのは良くない。
確かに事前に調べて情報を得るという事は安心材料に繋がるが、必要以上に調べ過ぎると、それは「旅」ではなく単なる「確認作業」になってしまう。私はそうならないように「必要な情報を旅の妨げにならない程度」に情報を得るようにしている。
最も、「全く情報無しで行けばいいやん」という人も中にはいるとは思うが、残念ながら私はそんな勇気は持ち合わせていないので、不自由にならない最低限は調べます。そんな無謀な事は怖くてできませんね。
だって現地に行ったら「VISAが必要だった」とか「パスポートの必要残存期間が足りません」って事で入国拒否になるのは嫌でしょ?(笑)
その旅で最も重要なコトは何か?
今回、日程の関係でマラケシュには行けなかった。
今回の旅の一番の目的は、シャウエンにいる日本人の方に会いに行く事だったので、日程的な関係でフェス(ここでは”フェズ”でなく現地音の”フェス”で統一します)に滞在して日帰りでシャウエンへ行くというのが、最も有効な選択だった。
(結局、急な仕事が入り行き違いで当人はフェスに行ったので会えなかったが・・・)
そのため個人的に行きたかったマラケシュは必然的に切り捨てた。
だけど、自分はそれでよかったと思っている。
旅の目的が違っていたのであれば、それは今回の旅でするべきことではないからだ。
勿論、無理して行くこともできたが、果たしてそれは重要なことなのか?
その旅で一番の目的、最も重要としていることが何かを知れば、それ以外は「おまけ」として考えれる。極論、一番の目的を達成できれば、後はどうでもいいと思えば何か不都合があった場合、予定変更に対し気持ちにゆとりが持てる。
じゃあ、一番の目的が達成できなければ、その旅は無意味になるのか?
それは決してならない。そこに達するまでの中で十分に数々の経験をしているので、それは次の旅に活かせばいいし、もし「やっちまった」的なトラブルがあったなら、仲間に話せる絶好の「旅のネタ」ができた事になる。
次また行けばいいだけの話
日本人はとにかく短期間に予定を詰め込んで色んなとこ(観光地やその他色々)を巡ろうとする。
確かに少ない時間を有効的に利用するということを考えると、それは間違ってはいない。だが、正解でもない。
1つだけ確実に言えることは
「余裕がなければ楽しめない」という事。
それは時間や費用の余裕とかではなく「心の余裕」の事。
目の前だけを見るのではなく、その脇を見る余裕があるかどうか?
立ち止まって「今」を見れる余裕があるかどうか?
これだけでその旅は変わってくる。
“追われるだけの旅ほど、シンドいことはない”
だから、「また行けばいい。次の楽しみが増えた」と私は思っている。
旅に過剰な見返りを求めない
今回の旅の一番の目的は何かと言うと
「シャウエンにいる日本人に会いに行く」という事。
結果的にそれは果たせれなかった。
ただ、それは単なる結果論。
正直、どうでもいい。
会えたら会えたで新たな出会いと可能性に繋がることがあったし、会えなくてもモロッコに行って体験した事は自分の中に活きている。
よく、旅に物凄く期待して見返りを求めたりする人がいる。
「自分を変えるために世界一周旅行に行く!」とか「自分探しの旅に出る」とか言ってる人がいたりするが、正直、何が言いたいのかサッパリ分からん。求めるのは勝手だから求めればいいけど・・・
ハッキリ言って、帰国しても大して変わってないから。
仮に変わっているなら、世の中そんな人で溢れかえってるから。
でも、現実は「いい思い出」になって終わり。
あれ?こんな筈じゃなかった・・・とか。
もし、そう思っているなら、さっさと世界一周でも何でも言ったら?と思う。そしてその先に何があるかを見て、どうするか考えその先に歩いて行けばいい。
極論
「行きたいから行った。」
「行って体験した。」
「無事に帰ってきた。」
それでいいやん。
難しいこと抜きにして。
だから「次」があるのだから。
自分はそう思い旅に出る。